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東洋医学コラム

93東洋医学の歴史①中国伝統医学の原典

神農:古代中国の伝説の帝王。園丁とも。人々に農業と医薬を教え、市場を設けて商業も教えた。医薬・農耕の祖であり交易の神ともされる。

『神農本草経』と『黄帝内経』

中国伝統医学(中医学)の現場では、現在でも、古代に書かれた原典3冊を参照することが多い。薬物に関する原典が『神農本草経』、医療に関する原典が『黄帝内経』、薬物療法の原典が『傷寒論』である。これらの書物が書かれた年代や著者については、さまざまな説がある。中国伝統医学は、神話の時代までさかのぼることができる。古代中国の帝王であった神農は、からだは人間、頭は牛という姿といわれる。みずから草を食べて、毒草と薬草を調べたという。医学と農学を人々に伝えた伝説上の存在である。前漢(紀元前202~後8年)末期には、神農の名を冠した『神農本草経』が書かれている。365種の生薬を紹介している、もっとも古い生薬の書籍である。前漢時代にはすでに生薬の性質と使い方が整理されていたことがわかる。また、前漢時代にまとめられたといわれる『素問』と『霊枢』の2部を合わせたものが『黄帝内経』とされている。『素問』は失われてしまったが、唐(618~907年)の時代に、王泳が編纂し直したものが伝えられている。『素問』は、古代中国の伝説上の帝王である黄帝が投げかけるさまざまな疑間について、学者が答えていく形式で書かれている。さまざまなツボ(経穴)、経脈、気、血など東洋医学の基本概念が陰陽五行説にもとづいて記されている理論書だ。一方、『霊枢』は、診断、治療、鍼灸術などの実践的な医療技術が記されている。存在が伝えられていただけだったものが宋(960~1279年)の時代に発見され、明(1368~1644年)のときに改訂されたものが現在に伝わっている。

張仲景の『傷寒論』と温病論

『傷寒論』は、後漢(25~220年)の時代に張仲景によって著されたとされる。急性悪性感染症(腸チフスに似たもの)と、急性良性感染症(かぜ症候群)をとりあげ、時間の経過にしたがって変化していく症状と対処法を、両者を比較しながら解説したものである。単純な治療方法ではなく、病気そのものに対する診断方法や治療の原則を記してあり、今なお、その価値はゆるぐことはない。その後、中国では『傷寒論』で対処できない、疫病が流行するようになった。ウイルスがおこすインフルエンザなど急性の熱性感染症である。これらの疫病の治療法は、清(1636~1912年)の時代には、温病論としてまとめられた。

豆知識

中国最古の王朝・夏の前に三皇五帝の治世があつたとされる。三皇は、伏義、女蝸、神農(諸説がある)、五帝は黄帝、顓頊(せんぎょく)、嚳(こく)、尭(ぎょう)、舜。

さくら鍼灸整骨院
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