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長崎市の整骨院のさくら鍼灸整骨院のブログ、コラムのページです。

96東洋医学の歴史④日本と中国の現状

中医学:中華人民共和国成立後、伝統医学を踏襲しながら新たにつくられた中国独自の医療。現代中医学として、伝統医学と区別することもある。

明治維新後の苦境を乗り越えて注目を集める日本の漢方

漢方医は明治維新後、西洋医学を修めて医師免許を取得しなければ、医師として開業できなくなった。漢方医学は、いったん表舞台から引き下がることになった。しかし、漢方医学を継承する人たちは途絶えることなく、政府へのはたらきかけや教科書の出版などの活動を続けた。1957(昭和32)年、小太郎漢方製薬が漢方エキス製剤を初めて製造・販売した。煎じる手間がかからないことから、服用する人や扱う薬局が増えた。1967年には医療用漢方エキス製剤4品目が薬価収載されて初めて保険適用になった。1976年には41処方・54品目が追加収載された(現在では148処方・848品目が保険適応)。保険で扱われるようになってから、漢方薬は一気に市場に広がった。その後、西洋医学では完治しにくい慢性病や不定愁訴などに、東洋医学が効果があることが再認識されてきた。2001(平成13)年には、医学部教育に東洋医学が取り入れられ、東洋医学を学んだ新しい世代の医師の医療現場での活躍が期待される。

中医学として中国国民に深く浸透

中国では、1912年に中華民国が成立後、新政府は西洋医学を重視し、中国伝統医学の立場は弱くなった。しかし、1949年の中華人民共和国成立後は、伝統医学と西洋医学を共存させる方針をとった。伝統医学は「中医学」という名称になり、全国各地に中医学の診療機関が設けられることとなった。理論が体系化され、1958年には最初の教科書『中医学概論』が出版された。現在は、中医学と西洋医学を同時に重視することが憲法に盛り込まれており、伝統医学を行う中医師と西洋医学を行う医師と2つの資格が併設されている。2003年に流行したSARSに対して、中医学は高い治療効果を収め、SARS撲滅に大いに貢献した。中医学は中国国民にとって、たいへん身近なものであり、なくてはならないものとなっている。中国政府はWHOと連携し、海外の医師のために多くの鍼灸研修センターを開設し、30数年にわたって鍼灸医学の世界への普及・啓蒙をはかってきた。現在100以上の国で鍼灸治療が行われており、世界各国における代替医療の推進に大いに貢献している。また、鍼灸の分野で中国最大の規模を誇る天津中医薬大学第1附属病院では、難治性を含むさまざまな疾患に鍼灸治療が施されている。海外からも多くの医師が研修に訪れている。

豆知識

明治になってから、大学の薬学部では、生薬成分の研究が盛んに行われた。たとえば、1885(明治18)年、長井長義は、生薬の麻黄からエフェドリンという成分を抽出した。エフェドリンは気管支を拡張する成分で、ぜんそく患者にとって画期的な治療薬となった。現在も生薬から化学成分を抽出する研究は非常に盛んである。

さくら鍼灸整骨院
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